第8番札所 明王院
8番 飯盛山 寛喜寺 明王院 鎌倉33観音霊場第8番札所 鎌倉13仏:第1番 不動明王(秦広王、初七日) ・本尊:十一面観世音菩薩 真言宗御室派 ・住所:鎌倉市十二所 ・ご詠歌:もつあまり 八つと数ふる 患らいを 一太刀にする 知恵のいちはし ・由緒等:鎌倉市街地の東方、金沢街道から北に入り、滑川を渡った位置にある。この寺は、寛喜3年(1231年)鎌倉幕府4代将軍藤原(九条)頼経によって発願された寺で、寺号の「寛喜寺」は発願の年号による。嘉禎元年(1235年)に落慶し鶴岡八幡宮別当の定豪が開山に迎えられた。 寺は寛永年間(1624 - 1644年)の火災で焼失し、その後再建されたものである。本尊として不動明王を中心とする五大明王像を安置するが、不動明王像のみが鎌倉時代のもので、他の4体は上記の火災後の造立である。不動明王像は作風から鎌倉時代の仏師・肥後別当定慶の作と推定されている。明王院は藤原頼経開基の寺院であるが、頼経の室・竹御所の一周忌の本尊仏を文暦2年(改元して嘉禎元年・1235年)5月、肥後法橋(定慶)が造立したことが『吾妻鏡』にみえ、頼経と定慶の関係を裏付けている。 ・雑感:鎌倉33観音の中でここだけかもしれませんが、境内撮影禁止の表示があります。加えて、職員が庭の掃除をしていたので良い写真がありません。 |