第5番札所  不動院



第6番札所

・住所:港区六本木3-15-4

・山号・院号・寺号:五大山 不動院 (ごだいさん ふどういん)

・通称:

・本尊:不動明王

・ご詠歌:仮の世に知行争うむやくなり 安楽国の守護をのぞめよ

・札所等:

 江戸時代には「麻布不動坂の一願不動さん」とか「六軒町の目黄不動」と呼ばれ、信仰を集めたという。江戸の五色不動のうちの目黄不動は、一般には江戸川区平井の最勝寺か台東区三ノ輪の永久寺とされているが、当院とする説もある。

寺伝によれば江戸開府以前の創建で、かつては麹町平川町(平河町)にあったという。万治元年(1658)、幕府の命により麻布六軒町の現在地に移転した。当時の住職は中野の宝仙寺の住職を兼ねていた玄海法印であった。

玄海法印は新しい境内地が狭かったため、近くの沼を埋め立てて境内を拡張することを願い出て許可された。

ところがこの沼には悪蛇が数多く住み着き、近くの住民を悩ませていた。そこで玄海が、先祖である武田信玄が所持していた十一面観音を本地仏として稲荷大明神を勧請し、七日七夜の調伏の祈祷を行ったところ、水面に長さ2丈(約6メートル)の巨大な悪蛇の死骸が浮き上がった。人々は玄海の法力に驚き、喜んで寺院の普請に協力したと伝えられる。

また、境内近くの池で洗い物をしていた夫人が神憑りとなり、稲荷神を不動院の境内に祀れば、必ず祈願を成就させ、火を防ぐと託宣した。そこで社殿を建立して祀られたのが児稲荷大明神であり、今も境内の一角に祀られている。

明治の初め、不動院の住職となった高野山の山科俊海師は、日本橋小伝馬町の牢獄の跡地で燐火が燃えるのを見た。俊海師はこの地の浄化を祈念し、寺院の建立を発願した。大倉喜八郎(大倉財閥の祖)、安田善次郎(安田財閥の祖)といった有力者などの支援も受け、明治8年(1875)大安楽寺を創建した。

・雑感:いつもご不在で、皆さま、小伝馬町の大安楽寺さんでご朱印を頂いているようです。写真撮影のみで終了(H30.9.16記)。



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