第34番札所  苅谷不動尊



第34番札所
・住所:千葉県いすみ市苅谷307
・号・院号・寺号:幸野山 宝勝院 聖王寺(さいのさん ほうしょういん しょうおうじ)
・通称:
・不動尊:夷隅苅谷(いすみかりや)不動尊
・童子:善爾師童子
・ご詠歌:幸野(みゆきの)の 原に坐します 不動尊 萬喜まんぎの城の 病門の除

 ・由緒等:安土桃山時代の天正年間(西暦一五七三年から一五九一年)に万喜城城主が八方守りの一つとして不動尊をまつったのが始まりとされています。その後、この地の領主がいろいろと替わり、不動尊もさびれかけたが江戸時代初期の寛永七年(西暦一六三〇年)に什俊阿闍梨という僧が宝勝院の開山となって不動尊を本尊とした。
 この地には安閑天皇が御幸されたという言い伝えがあり、「御幸の野」「幸野」とも言われていた。「幸野」は「こうや」とも読め、「高野山」の「高野」に通じることから、山号を「幸野山」としたということです。
 「高野」に通じるから「幸野山」にしたというくらいですから、開山当初は真言宗だったのでしょうが、その後、天台宗に改宗したらしく、本堂に釈迦如来、不動堂に不動明王がまつられています。夷隅苅谷不動尊の開創は、天正年間(1573〜1591)に美濃土岐氏が万喜城を築城した際に、八方守りの一つとして病門にあたる苅谷原に、その守護となすために不動尊を祀ったのが始まりです。尊像には「病」を除けるため、有縁の良弁僧正御作不動明王像が安置されました。
こうして祀られた不動尊は、その地名を冠していつの頃からか「苅谷不動尊」と称されるようになったそうです。また、「人形供養のお寺」としても有名で、思い出深い人形や故人の品、写真、古いお札などを供養していただけます。(ウィッキペディアHPより)

・雑感:特急新宿さざなみ号に乗り大原からいすみ鉄道に乗換えます。なぜかムーミンだらけの鉄道。ということではるばるやってきました。「ぼけ除き薬師」とかもあって手広くやっています。親切なおばさんに御朱印を頂きました。





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