第31番札所
・住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町2-7-35
・山号・院号・寺号:光岩山 釈迦院弥勒密寺(こうがんざん しゃかいん みろくみつじ)
・通称:岩槻大師
・不動尊:五大明王(中尊・大聖不動明王)
・童子:戒光慧童子
・ご詠歌:三密の 護摩火 喜多むき不動尊 七世の父母や 遍路打つ寺
・由緒等:当山は光岩山釈迦院岩槻大師彌勒寺と号し、くしくも真言宗の宗祖弘法大師空海さまご生誕の年、光仁天皇の宝亀5年(774)の草創となる。
開山当山第一世開成和尚は、光仁天皇の第一皇子桓武天皇の兄君にあたられ、摂津の国勝尾山へのご修行の途中、当岩槻の地で疫病に苦しむ人々に出会い、それらを救わんが為、金色の弥勒菩薩を安置し開山され岩槻の地でも一番古い由緒ある真言宗の寺院である。
その後、時移り平城天皇の大同2年(807)5月弘法大師ご巡錫の折り、当初でご本尊大日大聖不動明王を始め、東方守護の降三世明王、南方守護の軍荼利明王、西方守護の大威徳明王、北方守護の金剛夜叉明王を一刀三礼にして謹刻され、五大力尊として安置し、岩槻第一の古刹として隆盛を極む。
爾来幾多の出来事にあいしも、鎌倉中期後嵯峨天皇の寛元3年(1143)北条重時の外護を得て、椎名伊予守藤原吉次鋳造の梵鐘を寄進さる。また、鎌倉の執権北条時宗の時代、文永の役・弘安の役と二度に渡る蒙古軍の襲来を受けし際、緑深き当山に蒙古軍撃退天下太平国土安穏を祈願し、その願成就により、時宗持念仏の妙澤筆の不動明王・制多迦童子・今迦羅童子の三福の掛け軸を寄進感謝のしるしを示さる。
当山を中心に古ヵ場地区に栄福寺、箕輪に智証院、渋江に東光寺、観音寺、新町に光明院、市宿に西光寺と数ヵ寺の本寺としてその偉容を示す。明治の廃仏毀釈の法難により現在は西光寺を残すのみとなる。時移り、江戸、明治と寺子屋を開設し学問を指導、明治5年寺子屋の全廃、普通教育制度が発布され、明治25年まで彌勒寺学校として幾多の人材を世に送り出す。岩槻尋常高等小学校の前身である。
当山、第72世大僧正上村正義猊下、第73世上村正剛僧正は檀信徒と慎重審議し、昭和53年近代技術の粋を結集し、鉄筋コンクリート、半地下入母屋造りの華麗なる本堂を完成、密教道場として、道族一体の教化活動に一歩を踏み出す。60年には山門を始め、薬師堂、稻荷堂、交通祈祷殿、子育て人形大師像、身代わり地蔵、庭園整備をなし、境内一新す。 地下仏殿には、四国八十八カ所のご本尊とお大師様を勧請し、お砂を請来し奉安。善男善女のお遍路巡拝の道場としてその名は広く伝えられ日本全国から参拝者は絶えない。また、61年には関東三十六不動霊場の第三十一番札所に選ばれる。(岩槻大師HP「彌勒密寺略縁起」より)
・雑感:岩槻駅から徒歩10分くらいです。山門の提灯がカッコ良いです。
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