第28番札所 川越大師



第28番札所
・住所:川越市小仙波町1-20-1
・号・院号・寺号:星野山 無量寿寺 喜多院(せいやさん むりょうじゅじ きたいん)
・通称:川越大師
・不動尊:不動明王
・童子:虚空蔵童子
・ご詠歌:川越が 仙波の森の 不動尊 唱えて厄難の やどらざるなし

・由緒等:埼玉県川越(かわごえ)市小仙波(こせんば)町にある寺。天台宗に属し、星野山(せいやさん)無量寿寺喜多院と称する。北院、川越大師ともいう。830年(天長7)慈覚(じかく)大師(円仁(えんにん))の草創。1296年(永仁4)尊海法師が顕密(けんみつ)の道場として関東天台580寺余を付属させ、1301年(正安3)坂東(ばんどう)の天台本山の勅許を賜った。1537年(天文6)北条氏綱(うじつな)による川越城陥落のときの兵火で堂宇および典籍はことごとく焼失した。1599年(慶長4)天海(てんかい)が第27世となり、徳川家康の保護のもとに500石、4万8000坪(約1584ヘクタール)の地が寄進され、後陽成(ごようぜい)天皇より東叡山(とうえいざん)の号を賜った。しかしこの山号はのちに上野の寛永寺に移り、星野山の山号に戻った。中院(なかいん)を中心として、南院、北院の3院があり、北院はのち喜多院と改めた。1612年(慶長17)より3か年間に堂塔伽藍(がらん)が復興されたが、38年(寛永15)の川越大火ですべてを焼失した。川越藩主堀田正盛(ほったまさもり)が造営奉行(ぶぎょう)を命ぜられ、正盛は同年松本への転封後も再建に力を尽くし、家光(いえみつ)の命で江戸城内紅葉山(もみじやま)の別殿を移築、さらに諸堂を再建した。家光誕生の間、春日局(かすがのつぼね)化粧間、山門、慈眼堂など、慈慧(じえ)大師堂を除く現在の建物は国の重要文化財。寺宝は、『職人尽絵(しょくにんづくしえ)』(狩野吉信(かのうよしのぶ)筆、桃山時代)、宋版一切経(そうばんいっさいきょう)などの国の重要文化財のほか、『三十六歌仙絵額』(岩佐又兵衛筆)、五百羅漢石仏など数多い。隣にある東照宮は天海が創建したもので、所有の『十二聡鷹絵額(じゅうにそうたかえがく)』(狩野探幽(たんゆう)筆)は有名。(YAHOO百科事典HPより)

・雑感:川越といえば喜多院です。ここはお庭の写真を撮りにかつて来たことはありました。三が日は混むだろうと思い1月13日に来ましたが参拝の列は100mはある勢いでした。川越七福神の大黒天にもなっています。折角並んだので「門札」とかも買い求めてしまいました。(3枚で800円)




御姿 門札@ 門札A



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