第21番札所  薬研堀不動尊



第21番札所
・住所:東京都中央区東日本橋2-6-8
・山号・院号・寺号:川崎大師東京別院 薬研堀不動院(?かわさきだいしとうきょうべついん やげんぼりふどういん)・通称:薬研堀不動
・不動尊:不動明王
・童子:大光明童子
・ご詠歌:ざんにんの こころをおとす やげんぼり みょうおうさまが すくうひとさじ

・由緒等:川崎大師の東京別院・薬研堀不動院は、古くから目黒、目白と並び江戸三大不動として知られ『江戸名所図会』をはじめ多くの文献に紹介されています。
御本尊(不動明王)は、崇徳天皇の代、保延3年(1137)に真言宗中興の祖と仰がれる興教大師・覚鑁(かくばん)上人が、43歳の厄年を無事にすまされた御礼として一刀三礼敬刻され、紀州・根来寺(ねごろじ)に安置されたものです。
 その後、天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。
 その後、明治25年(1892)より川崎大師の東京別院となり現在に至っています。また、順天堂の始祖と仰がれている佐藤泰然(たいぜん)が、天保9年(1838)に和蘭(オランダ)医学塾を開講した場所でもあります。(薬研堀不動HPより)

・雑感:東日本橋のビルの谷間にビルとなって存在しています。それでも簀子で靴脱いでお参りします。あと講談発祥の碑がありました。江戸「三大」不動(ここ+目黒、目白)の一つと主張しています。目黒はともかく、ここも目白もそれほど賑わっている訳でも広い訳でもありません。





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