第15番札所 中野不動尊



第15番札所
・住所:東京都中野区中央2-33-3
・山号・院号・寺号:明王山 聖無動院 宝仙寺(みょうおうざん しょうむどういん ほうせんじ)
・通称:中野不動尊
・不動尊:不動明王
・童子:師子慧童子
・ご詠歌:まいりきて ねがふ心に 宝なる 仙楽ねがき 法のひかりぞ

・由緒等:『武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起』によると、宝仙寺は 平安後期の寛治年間(1087〜94)源義家によって創建されました。
このとき義家は、奥州・後三年の役を平定して凱旋帰京の途中にあり陣中に護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したのでした。
その地は 父頼義がかつて祭祀した八幡社のある阿佐ヶ谷の地でこの造寺竣成の時、地主稲荷の神が出現して義家に一顆の珠を与え「この珠は希世之珍 宝中之仙である是を以って鎭となさば 則ち武運長久 法燈永く明かならん」と言いおわるや白狐となって去りました。
これにより山号を明王山、寺号を宝仙寺と号したと伝えられます。
また、鎌倉時代には相模国大山寺の高僧願行上人が当寺を訪ねられ、本尊の不動明王像をご覧になってその霊貌の凡常でないことに驚かれ、あやまって尊像を穢してはいけないと厨子の奥深くに秘蔵せられました。
 平素の拝礼には別の不動明王像を刻してこれに当てさせました。
その後、室町時代には当寺中興第一世聖永が現在の地に寺基を遷しました。
 江戸初期の寛永13年(1636)には三重塔が建立され、江戸庶民にも親しまれ歴代将軍の尊崇もあつく御鷹狩りの休憩所としても有名でした。
宝仙寺の大伽藍は昭和20年の戦禍により焼失。 現在の伽藍は昭和23年より順次復旧したものです。(宝仙寺HPより)

・雑感:立派なお寺です。中の区役所跡の碑とかも立っていました。





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