第15番札所
・住所:秩父市番場町7-9
・山号・院号・寺号:母巣山 少林寺(ははそさん しょうりんじ)
・ご詠歌:みどり子の ははその森の 蔵福寺 父もろともに 誓いもらすな
・三千女奉納額:「湯尾峠の奇談」疫神の謀を聞いた近江商人がそれを防ごうと定朝の仏像をこの地にまつる。 近江国の堅田の商人が越前国へ行き、湯尾峠を通りかかった際、怪しい者十余人が互いに話しているのを耳にした。「今年近江国の住人を絶やしてしまおうと思ったが、定朝が十一面観音像を作り、それを妨げてしまい、うまくいかなかった。これから東国に向かおうと思う」。するとその中の一人が「もし又その十一面観音を東国に移したならばどうするのだ」と言った。「その時は吾輩は日本には住めない。ああ、なんていまいましい定朝だろう」と声をひそめて話した。これを商人は聞き、これこそは疫神にちがいないと大いに恐れて国へ帰り、急ぎ定朝にこのことを告げると、定朝は坂本の地にある尊像を商人に授けて、「これを東国に持ち行き、諸人の疫難を救いなさい」と言った。商人は急ぎ東国に持って下向し、当所は仏意に叶う霊験があるため、この地に安置したいと願っていたところ、領主はすぐさま堂舎を建立したので疫難も免れ永く尊い霊場となった。
・由来:秩父線の踏切を渡ると石段の上に白塗り土蔵造りの本堂があります。札所15番寺は1878年の秩父大火の際、この寺も例外なく焼失したので、本堂再建の際、内部は和式ながら火災予防の見地から木造の外側をすべて白色の漆食塗りで仕上げたもので、札所中唯一の土蔵造りの堂であります。札所15番の参道の入口に「五葉山少林禅寺」とあるので、訪れる人は間違ったと迷う人も多いと思います。もともとこの寺は母巣山蔵福寺といい秩父神社境内にありましたが、明治維新の神仏判然令でいったん廃寺になりました。そのため、札所15番がなくなってしまうのを憂えた信者たちが役所に願い出て市内柳島にあった五葉山少林禅寺を現在のところへ移し両寺合わせて秩父札所15番を継承することにしたのだといいます。こんな話もあります。江州の商人が東国へ行く途中「定朝が観音像を造ったのでだめだ!秩父で暴れよう」という疫病神の声を聞きました。そこで定朝から疫病退散の観音像を授かってきてお堂を造って安置しました。(秩父札所巡りHPより)
・雑感:参道の途中に秩父鉄道の線路が横切っています。秩父事件の碑が立っており、思わず読みいってしまいました。三千女奉納額は小さな観音堂に飾ってありました。ガラス窓越しに撮影。
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