第7番札所
・住所:秩父郡横瀬町大字横瀬1508
・山号・院号・寺号:青苔山 法長寺(せいたいさん ほうちょうじ)
・ご詠歌:六道を かねてめぐりて おがむべし またのちの世を きくも牛伏
・三千女奉納額:「牛伏堂」平将門との戦に敗れた武者が、この地へ落ちて死んだ。それを訪ねてきた妻の夢枕に夫が立ち、村のある家の牛に生まれ変わっていると供養を訴えた。その妻が出家して結んだ庵が牛伏堂という。 承平(朱雀天皇朝・931~938)の頃、当郡の末野の郷、花薗の城主である某左衛門督の長臣某は、放逸邪見な者であったが、相馬の将門の謀逆に組して天慶三年(940)、官軍に攻められて山林に潜んでいたが、ついに亡くなった。ここに一人の僧が当寺の観音を携えて、その辺りに兵乱を避けていたので、長臣の亡骸を土に埋めた。その後、世は平穏となり、逃げ去っていたその土地の住人等、皆々が家に帰ってきたので、この長臣の妻子ももとの家に戻り、夫の行方を捜したところ、この僧が長臣が亡くなったことを語った。妻子は深く悲しみ、その塚に時々お参りするようになり、そのうちに家では牛が子牛を産んだ。この子牛はこの妻子を慕うので、ある日、長臣の塚へ牽き連れてゆくと、子牛は塚の前で跪いて涙を流し、人の言葉で「私はあなたの夫です。自分の悪心の報いにより、このような牛になってしまいました。どうか母子ともに出家をし、この観音を供養して下さい。そうすれば私は必ず涅槃に至ることができます」と言って直ぐに死んだ。このことにより、この妻子は即座に髪をおろして尼となり、夫の悪報を観音に祈り、ついに夫は畜生を転じて聖衆に生まれることができたことは、不思議な霊験である。
・由来:秩父札所7番寺右側に「法長禅寺」左側に「不許葷酒入山門」と刻まれている。これは結戒の一つで、葷酒はその強い匂いで他人を苦しめると同時に己の修行の妨げになり、また酒は心を乱すので、清浄な寺内に入ることは許さないとの意味を言う。本尊は、江戸時代の作の十一面観音で、高雅な面立ちである。内陣欄間に、四国八十八ヶ所の第86番志度寺縁起の彫刻がある。竜神に明朱を奪われた藤原不比等が、それを取り戻そうとして讃岐の志度の浦へきたとき、そこに住む海女と契ってしまう。やがて海女は不比等の子房前を生む。不比等への恩愛故に海女は竜神に赴き、明朱を無事取り返したのだが、竜神に追われてしまう。きわまった海女は己の乳房を切り、その下に明朱を隠し、命とひきかえにそれを不比等に伝えたという哀しい縁起話であります。(秩父札所巡りHPより)
・雑感:ここは三千女の扁額が本堂内に掲げられているため写真撮影が困難でした。本堂立入禁止の上、入り口を網で塞いでいます。網越しに写真撮ったのですが判読不能だったので、額に記された文字でなく、札所で頂いた由来書記載の縁起を記しています。
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