第26番札所
・住所:茨城県土浦市大字小野1151
・山号・院号・寺号:南明山 清瀧寺(なんめいざん きよたきじ)
・通称:
・真言:おん あろりきゃ そわか
・ご詠歌:わが心 今より後は にごらじな 清滝寺へ 詣る身なれば
・由緒等:寺伝によれば、推古天皇十五年 (607年)勅願により、聖徳太子御作の聖観音像を、龍ヶ峰に安置したのが始まりと言われる。 龍ヶ峰 (竜ヶ峰)
は、筑波山に連なる峰の一つで、現在は桜の名所になっている。
『坂東霊場記』 では、神代筑波山の二柱の神が、諸神を率いて筑波山に続く小野山に遊幸された時、喉が渇いたので、伊弉諾命が天の鉾で地を突くと、清水が南北二ヶ所から滝の如く湧き出した。
後に、行基菩薩がこの滝で行をおこない、自ら観音像を彫り山頂の滝口に安置。南のほうの清明な滝口を選んだので、南明山清瀧寺と号したという。
さらに後、花山法皇が老人や幼子にも縁が結ばれるようにと願ったことから、徳一上人が、堂を不便な山頂から山の中腹 (古観音) に移転した。鎌倉時代には、八田知家の庇護のもとに栄えたが、天正年間
(1573〜92年) の兵火で、七堂伽藍の大堂宇を焼失。元禄年間 (1688〜1701年)に、現在地へ本堂が再建されるものの、明治維新後は急速に寺運が衰えた。
昭和44年、不審火により江戸期の本堂は、聖徳太子御作といわれた本尊とともに焼失。仮堂が建てられるも、昭和48年に再び焼失の災難に遭う。
現在の観音堂は、昭和52年に地元信徒の熱意でようやく再建されたもの。新しい御本尊の聖観音像は、二十三番観世音寺のご住職より寄進され、昭和54年に開眼された。(天地人HPより)
・雑感:院号は、慈眼院だそうです。寺は、今現在も無住だが、交替で老人会有志が納経所奉仕を年中無休で行っている。御朱印の字が巨大で驚きます。
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