第23番札所
・住所:茨城県笠間市笠間1056-1
・山号・院号・寺号:佐白山 正福寺(さしろさん しょうふくじ) 旧観世音寺(かんぜおんじ)
・通称:佐白観音
・真言:おん ばざら たらま きりく
・ご詠歌:夢の世に ねむりもさむる 佐白山 たえなる法や ひびく松風
・由緒等:簡素な山門を入り、石段を上ると、昭和になって建立された仮堂がある。本尊千手観音は鎌倉時代初期の寄木造で、県の文化財に指定されている。
縁起によると、当地に住む猟師の粒浦氏は、狩に出る前に鏡に自分の姿を映して、その日の猟を占っていた。ある日、いつものように鏡を見ると、白馬・白鹿・白雉が、霊木を守護しているところが映った。急いで山に入ると、白髪の老翁が現れて、粒浦氏を鏡に映ったのと同じ場所に導いた。粒浦氏は発心して猟をやめ、霊木の近くに草庵を建てた。
それから七年の後、一人の仏師が草庵を訪れたので、粒浦氏は霊木にて千手観音を作ることを依頼した。十七日間で尊像は完成したが、それと同時に仏師は毘沙門天と化し、光を放って天に昇っていった。歓喜した粒浦氏は堂宇を建立し、三白山と号したという。
孝徳天皇の勅願所となって正福寺と呼ばれ、鎌倉時代初期までには関東有数の霊場として栄えていた。ところが、近隣の徳蔵寺との寺領争いがきっかけとなり、建保二年(1214)宇都宮頼綱の命により、宇都宮時朝が正福寺を襲って堂宇を破却。寺跡に城を築き、笠間氏を名乗った。しかし、僧侶の亡霊に悩まされたため、観音の宝前で懺悔し、忠円阿闍梨を招いて観音堂を再建した。幕府に無断で兵を動かし、築城したことで咎められたが、観音の霊験により救われたことから、「佐(たす)く」の文字を使って佐白山に改めたといわれる。
戦国時代に笠間氏が滅亡すると、正福寺も衰退。明治の廃仏毀釈で廃寺寸前となるが、昭和五年(1930)現在地に移転し、近年になって観世音寺と改称した。(坂東33か所観音霊験記HPより)
・雑感:2年くらい前に観世音寺から正福寺に寺名変更して登記上もそうなっているようですが、みなまだ昔の名前で呼んでいます。あまり金回りの良い寺ではないらしく、自分の寺の入り口門まで旧名称のままになっています。ツアーで訪問した訳ですが、秘仏開帳のサプライズうぃしてくれたり、お茶の御接待を受けたりと、心象の良いお寺でした。
|