番外札所 北向観音



番外札所2
・住所:長野県上田市別所温泉1666
・交通:別所温泉駅~徒歩
・山号・院号・寺号:
・通称:北向観音
・本尊:千手観音菩薩
・ご詠歌:

・由来:寺伝によれば、平安時代初期の天長2年(825年)円仁(慈覚大師)によって開創されたという。800年代にも火災の伝説が残るが、安和2年(969年)平維茂によって大伽藍として大改修が行われたが、木曽義仲の兵火により焼失したのち、源頼朝により再興。鎌倉時代の建長4年(1252年)には北条国時(塩田陸奥守、塩田国時)によって再建された[1]と伝えられる。
江戸時代に至って正徳3年(1713年)に焼失し、8年後の享保6年(1721年)に現在の堂が再建された。その後度々修復を加え、昭和36年に増改築を施し、善光寺の本堂と同じ「撞木造り」となる。
北向観音という名称は堂が北向きに建つことに由来する。これは「北斗七星が世界の依怙(よりどころ)となるように我も又一切衆生のために常に依怙となって済度をなさん」という観音の誓願によるものといわれている。 また、善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われる。
観音堂に隣接する温泉薬師瑠璃殿は火災の後、文化6年(1809年)に地元の薬師講により再建された。 愛染堂の近くに縁結びの霊木として崇められている愛染かつらの巨木がある。(ウィッキペディアHPより)

・雑感:ここもお参りしないと「方参り」になるとの脅迫に負けての参拝です。きちんと常楽寺にもお参りしました。常楽寺は北向観音の本坊であり、ご本尊は「妙観察智弥陀如来(みょうかんざっちみだにょらい)」。
常楽寺(写真右下)は北向観音堂が建立された天長二年(825年)、三楽寺の一つとして建立されました。その後、正応五年(1292年)四月、信乃国(信濃国)塩田別所常楽寺で書写されたと記述のある「十不二門文心解)」が金沢文庫に遺されており、また、本堂裏の北向観音の霊像が出現した場所には、弘長二年(1262年)の刻銘のある石造多宝塔(重文)が保存されていて、鎌倉時代に天台教学の拠点として大いに栄えた常楽寺の歴史を証する貴重な文化財となっています。





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