第30番札所 宝厳寺



第30番札所
・住所:滋賀県長浜市早崎1664
・交通:長浜・彦根・今津の各港より 汽船約25分~40分
・山号・院号・寺号:厳金山宝厳寺
・通称:竹生島宝厳寺
・本尊:千手千眼観世音菩薩(観音堂)
・ご詠歌:月も日も 波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を 積むここちして

・由来:竹生島宝厳寺は、神亀元年(724)聖武天皇が、夢枕に立った天照皇大神より「江州の湖中に小島がある。その島は弁才天の聖地であるから、寺院を建立せよ。すれば、国家泰平、五穀豊穣、万民富楽となるであろう」というお告げを受け、創行基を勅使にとしてつかわし、堂塔を開基させたのが始まりです。行基は、早速弁才天像(当山では大弁才天と呼ぶ)を彫刻しご本尊として本堂に安置。翌年には、観音堂を建立し、千手観音像を安置しました。
 それ以来、天皇の行幸が続き、また伝教大師、弘法大師など来島修行されたと伝えられています。
 当山は、豊臣秀吉との関係も強く、多くの書状、多くの宝物が寄贈されています。慶長七年(1602)には、太閤の遺命により、秀頼が豊国廟より桃山時代の代表的遺稿である観音堂や唐門などを移築させています。明治時代、この島は大きく変化し、当山より都久夫須麻神社(竹生島神社)が分かれました。古来、現在の神社本殿を当山は本堂とし、本尊大弁才天を安置しておりましたが、明治元年(1868)に発布された『神仏分離令』により大津県庁より、当山を廃寺とし、神社に改めよという命令が下りました。
  しかしながら全国数多くのご信者皆様の強い要望により廃寺は免れ、本堂の建物のみを神社に引き渡すこととなりました。本堂のないままに仮安置の大弁才天でしたが、昭和十七年現在の本堂が再建されました。本尊大弁才天は、日本三弁才天の一つとして、観世音菩薩は西国三十三ヶ所観音霊場の第三十札所として参拝の方々の姿が絶えずその詠歌の声が響いています。
  月も日も波間に浮かぶ 竹生島 船に宝を つむ心地して
 古くは平経正が琵琶をひいて戦勝を祈願し、謡曲『竹生島』など数多くの音曲にもこの島の美しさがたたえられています。いまもなお、神秘とロマンが一杯に秘められています。(西国三十三か所巡礼の旅HPより)

・雑感:フェリーで訪問結構な値段です。船代高い上に上陸後、さらに入島料をとります。札所、弁財天、神社と御朱印3種もらい結構な散在です。





トップページへもどる

直線上に配置