第20番札所
・住所:京都市西京区大原野小塩町1372
・交通:JR向日町駅下車阪急バス(約30分)
・山号・院号・寺号:西山善峰寺
・通称:よしみねさん
・本尊:千手観世音菩薩
・ご詠歌:野をもすぎ 山路にむかふ 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立
・由来:当山は、長元2年(1029)源算上人の開山である。源算上人は、恵心僧都の高弟で、因幡(鳥取)に生まれ、横川(比叡山)の恵心僧都に従い、顕蜜の蘊奥を極め47歳の時、当山に入られ小堂を結び、十一面千手観音の像を刻み本尊となし、仏法を興隆された。長元7年9月、後一条天皇より、鎮護国家の勅願所と定められ良峯寺の寺号及び聖詠を賜わった。
“野をもすぎ 山路に向う、 雨の空 善峯よりも 晴るる夕立”
以来歴朝の御崇敬篤く、長久3年、後朱雀天皇、洛東鷲尾寺より本尊仁弘法師作、十一面千手観音像を当山に遷して本尊とし、先の十一面千手観音像を脇立とされた。
白河天皇、諸堂を建立し給い、その後慈鎮和尚善恵上人、その高徳を相嗣がれ、また青蓮院の宮が代々当山に住まわれた。即ち覚快、道覚、慈道、尊円、尊道、尊祐、尊真、尊寳、尊證、各法親王である。そして西山の宮(門跡)と称された。
後花園天皇(102代)が伽藍を改築せられ、僧坊52の多きに及んだが、応仁の乱に兵火を免れず焦土と化した。 その後徳川五代将軍の母堂桂昌院が当山を復旧され、二百石及び山林42万5千坪を寺領とし明治に至った。重要文化財として、多宝塔・大元師明王軸
その他文化財多数あり。(西国三十三か所巡礼の旅HPより)
・雑感:以前は苦労してバスで訪問した思い出がありましたが、今回はタクシーで楽チンです。
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