第12番札所
・住所:滋賀県大津市石山内畑町82
・交通:JR石山駅下車京阪バス52・53・54 系中千町下車歩50分
・山号・院号・寺号:岩間山正法寺
・通称:岩間寺
・本尊:千手観世音菩薩
・ご詠歌:みなかみは いづくなるらん いわまでら きしうつなみは まつかぜのおと
・由来:滋賀県大津市と京都府宇治市の境にある標高445mの岩間山中腹に位置し、岩間山正法寺と称する。西国三十三所第十二番、ぼけ封じ近畿十楽観音霊場第四番札所。
養老六年(722年)、加賀の白山をも開いた泰澄大師が第四十四代女帝元正天皇の三十三歳の大厄の病を法力により治した褒美として建立したことに始まる元正天皇の勅願寺院である。
泰澄は、別名"越の大徳""金鎮大師"ともいい、白鳳十一年(682)六月十一日、福井県に生まれている。幼少の頃より神童的で、常に十一面観音を念じ、僧侶となってからも荒行を積み、その名声は早くより中央にも知られていた。大宝二年(702)には鎮護国家法師に勅任され、養老六年に元正天皇の病気平癒祈願のため、奈良の都へ来たと伝えられている。同年、加賀白山を開く途上、霊地を求め弟子神部浄定と少沙弥(寝行者)を従えて岩間山を訪れた折、山中の桂の大樹より千手陀羅尼を感得し、その桂の木で等身の千手観音像を刻み、元正天皇の御念持仏をその体内に納め祀った。
現在のご本尊は、元正天皇御念持仏で、御丈四寸八分(約十五cm)の三国伝来エンブダゴン(印度エンブ川より採れる砂金)金銅仏千手観音立像で、"汗かき観音""雷除け観音""厄除け観音"として名高い。ご本尊は、毎夜日没とともに厨子を抜け出て百三十六地獄を駆け巡り、苦しむひとびとを悉く救済し、日の出頃、岩間山へ戻られた時には汗びっしょりになられているので、そのお姿から汗かき観音さんと呼ばれている。また、泰澄大師が当地に伽藍建立の際、たびたび落ちる雷に困り果て、ご自分の法力で雷を封じ込め、雷に業する訳を尋ねられたところ、雷は大師の弟子になりたいのだと申し出た。大師は快く雷を弟子にし、その代わりに岩間寺に参詣の善男善女には、雷の災いを及ぼさないことを約束させた。これが雷除け観音とよばれる由縁で、毎年四月十七日には、雷除け法要(雷神祭)が奉修され、多くの参詣者で賑わう。また、当地は開山当初より水の乏しい所であったため、雷は自らの爪で井戸を掘ったという。"雷神爪堀湧泉"と呼ばれる岩間の霊泉には元正天皇御製の、
わきいづる 岩間の水はいつまでもつきせぬ法のみ仏の影
という歌が伝えられている。また《観音霊験記》によると、江戸時代の俳聖松尾芭蕉は、岩間寺に参籠してご本尊の霊験を得、その俳風を確立したと言われており、本堂横手には芭蕉が"古池や蛙とびこむ水のおと"を詠んだと伝えられている"芭蕉の池"が残っている。
往昔は、後白河・後宇多・正親町天皇等歴代天皇の尊崇厚く日本三大霊場の一として隆盛していた。(西国三十三か所巡礼の旅HPより)
・雑感:ここも不便なところにあり、公共交通機関だけでは行きづらいです。巡礼の人しか来ないので雰囲気良かったです。
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