第1番札所
・住所:和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山8番地
・交通:勝浦下車 路線バス
・山号・院号・寺号:那智山 青岸渡寺
・通称:那智山寺
・本尊:如意輪観世音菩薩
・ご詠歌:補陀洛や 岸打つ波は 三熊野の 那智のお山に ひびく滝津瀬
・由来:「補陀洛(ふだらく)や岸打つ波は三熊野(みくまの)の那智のお山にひびく滝つ瀬」と御詠歌で親しまれている西国第一番の札所であります。当山の縁起に開基は仁徳帝の頃(4世紀)。印度天竺の僧、裸形(らぎょう)上人が那智大滝において修行を積みその暁に滝壷で24cmの観音菩薩を感得し、ここに草庵を営んで安置したのが最初です。
その後、200年推古天皇の頃、大和の生佛上人が来山し、前述の話を聞き一丈(3m)の如意輪観世音を彫み、裸形上人が感得した24cmの観音菩薩を胸佛に納め勅願所として正式に本堂が建立されたのです。
平安朝中期から鎌倉時代には、「蟻の熊野詣」といわれ、熊野三山の信仰がさかんになり、この時、65代花山法皇が三年間山中に参籠され那智山を一番にして近畿各地の三十三観音様を巡拝されましたので、西国第一番札所となりました。
現在の本堂は織田信長南征の兵火にかかり、天正18年(1590)豊臣秀吉によって再建され、桃山時代の建築をとどめ南紀唯一の古い国指定の重要文化財建造物で、この堂の高さは18mで、大滝の落口の高さとおなじであるといわれています。
青岸渡寺尊勝院は、中世以降は天皇、皇族の熊野詣での宿泊所にあてられていました。不開門は同院の入り口にある唐破風の四脚門で有名。なお、大正7年に那智の滝参道口・沽池と呼ばれるところから発掘された、飛鳥・白鳳時代から鎌倉時代初期にかけての熊野信仰を知る貴重な那智経塚出土品のうち、白鳳、奈良時代の観音菩薩立像、また藤原時代後期の金剛界三昧耶形(曼荼羅を立体的に表現)が国指定重文になっています。境内からは那智の滝、那智原始林、太平洋の眺めもよく、南北朝時代の重文・宝篋印塔(4.3m)や梵鐘があります。(西国三十三か所巡礼の旅HPより)
・雑感:2度目の訪問。前回も快晴でした。今回は那智大社と両方の御朱印を頂きました。
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