與田寺 (四国88か所の総奥の院)
・住所:香川県東かがわ市中筋466番地
・由来:寺伝によれば、奈良時代の天平11年(739年)に行基を開山として醫王山薬王寺薬師院の号で法相宗の寺院として創建され、後に空海により宗派を真言宗、寺号を神宮寺に改められたという。
嵯峨天皇の時代に勅願寺となり、応長元年(1311年)には国内談議所の―つに定められ、13世紀後期から始まる増吽[1]による中興の時代は後小松天皇より虚空蔵院の院号を下賜されて、1,000を越す末寺を有する讃岐国屈指の大寺院となった。
安土桃山時代に豊臣秀吉の長宗我部氏攻めの兵火を受けて堂塔伽藍の大半を焼失したが、江戸時代初頭に高松藩初代藩主松平頼重の帰依により復興される。明治時代になってから、與田郡の所在であることから神宮寺から與田寺に改められた。
四国遍路が大衆化した江戸時代には、與田寺の近くの三本松港が関西方面からの船便の拠点港になっていたことから、88番札所「大窪寺」で結願したお遍路さんが帰路の途中に與田寺に立ち寄り参拝していたことから、四国八十八ヶ所総奥之院としても親しまれてきました。
・御詠歌:祈るより仏にちかいあらたなるよだのお寺へ参るうれしさ
・雑感:"八十八ヶ所奥の院" "四国総奥の院" と格好良い呼ばれ方をしています。たしかに大きなお寺でした。
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