御入定所  高野山 奥ノ院

一ノ橋 御廟橋

・住所:和歌山県伊都郡高野町大字高野山550
・本尊:弘法大師
・真言:南無大師編照金剛
・ご詠歌:ありがたや 高野の山の岩かげに 大師はいまだおわしますなる

・由来:高野山の歴史 弘法大師、空海は20歳で出家し、31歳の延暦23年(804)唐に渡り、都の長安で恵果和尚より正統密教をきわめ、8人めの阿闍梨遍照金剛の称号を得、唐滞在2年余、大同元年(806)に帰国し、真言密教を各地に広められました。当時の帝、嵯峨天皇より高野山を賜わり、弘仁7年(816)に諸弟子や工人等多数を伴って登山し開創に着手され、これが高野山金剛峯寺のはじめといわれています。それから20年後なお造営が続いているさなか、大師は62歳の承和2年(835)3月21日に入定され、即身成仏をとげられました。その後、高弟真然大徳が中心となり、伽藍の造営を進め成功させ、仏教各派の修禅の大道場として栄えました。現在、伽藍と奥の院の両壇を中核に総本山のほか、117ヶ寺があり神秘な霊場を形成しています。

・雑感:奥の院には、これまで何回か来ていたのですが、結願のご報告を目的に来るのは今回が初めてです。御廟橋から先は、脱帽・写真撮影禁止なのであまり良い写真ありません。


参道



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