鎌大師堂(鴻乃山) (番外札所)
・住所:愛媛県松山市下難波甲1063
・由来:四国を巡錫していた弘法大師が当地にさしかかると、童子が鳴きながら草を刈っていた。訳を聞くと、疫病で姉を亡くし、弟も瀕死の状態で、このままでは皆死に絶えてしまうという。
そこで大師は童子の持っていた鎌で木片に自らの像を刻み、病気平癒を祈るように教えて立ち去った。教えられたとおりに祈ったところ、弟をはじめ村人の病が癒えたため、堂を建立して大師の像を祀ったという。
・十八人塚:境内南西にある古墳。建武2年(1335年)立烏帽子城主で北条氏方の赤橋重時(北条駿河太郎重時)は、後醍醐天皇方の土居通増・得能通綱連合軍の攻撃を受けた。敗走した赤橋主従18人は自刃し、この塚に葬られたと伝えられている。
・御詠歌:しずの子の鎌もて大師御自作の 御姿たたふ法の松風
・雑感:かなり大きな大師堂でもはやお寺を称してもかまわないくらいのレベル。地元出身の早坂暁脚本のNHKのドラマ『花へんろ』に因んで設けられた「花へんろ札所」の第一番でもある。
|