番外 八塚
・住所:別格9番文殊院の背後の田園の中にあり。 ・由来:ここから西方の松山平野の南丘陵部には土壇場ら、西野、釈迦面山などの古墳群が数多くあり、八ツ塚は、それらに続く平野部に位置する八基の郡集古墳である。文殊院所有の、これらの墳丘の形は、後世の開発によって変形しているが、一号・二号・三号・五号・八号古墳が円墳、二号・四号・七号古墳が方墳である。円墳は直径7mから14m、方墳は一辺10mをやや超える程度で、墳丘高はいずれも約1.5mから3.5mの規模である。石室は未調査だが横穴式石室、時代は古墳時代終末、農業祭祀の歳時噴とも考えられている。 この八ツ塚は、四国遍路の元祖といわれる衛門三郎の八人の子供をまつったとの伝説もあり、塚には小祠がおいかれ、石地蔵がまつられている。古墳と伝説の関係が、いつごろから語り伝えられるようになったかは、明らかではない。(現地案内板より) ・雑感:学術的には古墳に分類されるのですね。いくらお大師さんといえどもひどい話だと思うのは私だけでしょうか。 |