遍照院 (番外札所)
・住所:愛媛県今治市菊間町浜89
・由来:平安時代初期の弘仁6年(815年)四国巡錫中の空海(弘法大師)が、当地の峰に霊感を感じて聖観音を刻み寺院を建立した。これが当寺の起源と伝えられている。また、自らの像も刻んで厄除仏として安置したと言われる。
その後、多くの名僧が継承し、明応年間には、高仙城主得井通敦が田園を寄進、安芸の福島、伊予の加藤が土地を寄進するに及んで寺門は隆盛を極めた。しかし、天正年間の兵火により二度の火災を被り、全ての堂宇は焼失したが、厄除大師像のみは残存した。人々は唯一残った厄除大師像の法力に驚嘆し信仰し、海上交通の帆船は帆を下げ、門前を往来するものは被り物を脱いで礼拝し、厄除けの別願所として再興し、松山藩主の特別祈願所とされ、山主は城中に年に三度参殿し御守護符を献納するようになり、益々多くの信仰を集め興隆した。
・雑感:厄除けの大きな寺院。厄除けの行事に鬼瓦の御輿がかつがれるみたいです。
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