75番善通寺奥ノ院
・住所:善通寺市善通寺町3-3-1
・由来:善通寺の境内は東院と西院に分かれる。西院は誕生院と称し、御影堂(大師堂)をはじめ、御影の池や産湯の井戸など弘法大師ゆかりの遺跡が残る。
宝亀5年(774)大師は御影堂のあたりで誕生されたとされる。御影堂には大師御自筆の「瞬目大師」が祀られている。これは、大師が入唐される際、母公のため、御影の池に映った自分の姿を描いたものとされる。土御門天皇御拝覧の折、またたきをしたということから、この名を賜った。
また、親鸞堂には親鸞上人唯一の自刻像とされる「鎌田の御影」が祀られている。この像は、親鸞上人が下総国鎌田荘(現在の千葉県市川市)の信者・吉田源五左衛門易幹に与えたもので、法然上人が逆修塔を建てた善通寺に自分も詣でたいが果たせないので、この像を送るように言い残したものという。その後、吉田家で手厚く供養していたが、上人がしばしば夢に現れ、善通寺に送るように告げたので、三代目の孫である源次左衛門年幹というものが納めたという。
高野山奥の院には法然・親鸞両上人の墓所がある。弘法大師誕生の地と入定の地にこのような遺跡が残っていることに、大師あるいは真言宗の懐の深さを感じさせられる。
「御影の松」:昔御影の池の上に茂っていた松です。延暦23年大師入唐の際ご両親はお名残を惜しまれた。大師は夕刻この樹に登り池に写るお姿を描き形見とされました。その時香色山上に釈迦如来が現れ後光で明々と照らしたいわれています。尊影は後土御門天皇より瞬目大師の称号を賜り、現在御影堂奥殿に安置されています。
・雑感:せっかくですので「お誕生所」の御朱印ももらう。写真は大師・父母の「お影池」、西院の門、大師堂そして「御影の松」
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