第62番札所 宝寿寺

山門 本堂 大師堂

第62番札所
・住所:愛媛県西条市小松町新屋敷甲428
・山号・院号・寺号:天養山 観音院 宝寿寺(てんようざん かんのんいん ほうじゅじ)
・通称:
・本尊:十一面観世音菩薩
・真言:おん まか きゃろにきゃ そわか
・ご詠歌:さみだれのあとに出たる玉の井は 白坪なるや一宮かわ

・由来:縁起によると、天平のころ聖武天皇(在位724?49)は諸国に一の宮を造営した。その折、この地に伊予の一の宮神社が建立され、大和の僧・道慈律師(??744四)が勅命をうけて法楽所としての別当寺を創建したのがはじめとされる。このとき天皇は『金光明最勝王経』を奉納され、寺名は「金剛宝寺」と称して、現在地ではなく中山川下流の白坪という地にあったと伝えられる。
弘法大師がこの地方を訪ねたのは大同年間(806?10)で、寺に久しく留まり聖武天皇の妃である光明皇后の姿をかたどった十一面観世音菩薩像を彫造した。これを本尊とし、寺名を「宝寿寺」と改めて霊場とされた。そのころ国司の越智公夫人が難産で苦しんでいた。大師が本尊に祈願した霊水・玉の井で加持したところ、無事出産したことから安産の観音様としても信仰されたという。ただ、中山川のたび重なる洪水の被害を受け、天養2年(1145)に堂宇を再建し、山号も「天養山」と改めている。(四国八十八か所霊場会HPより)

・雑感:JR伊予小松駅から西へ歩いて1分の所にある。予讃本線は大正10年に開通、境内の中を汽車が走るので西へ100mほど移転した。また、国道11号線の開通でも境内が削られるという悲惨な歴史を持つ。この寺だけ霊場会のホームページにも写真が載っておらず、霊場会のアウトローだそうです。他のお寺ではすぐにもらえるのに「色刷りお姿は置いてません。欲しければ、善通寺でもらいなさい。」と言われる。善通寺の霊場会は土日休みだし、逆打ちの人はどうするのでしょうね。


境内



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