第43番札所
・住所:愛媛県西予市宇和町明石201
・山号・院号・寺号:源光山 円手院 明石寺(げんこうざん えんじゅいん めいせきじ)
・通称:
・本尊:千手観世音菩薩
・真言:おん ばざらたらま きり そわか
・ご詠歌:聞くなら千手の誓いふしぎには 大盤石もかろくあげ石
・由来:まず、この地は乙女に化身した千手観音菩薩がこもった霊地とされて、古来尊崇されてきた。6世紀の前半、欽明天皇(在位532?71)の勅願により、円手院正澄という行者が唐からの渡来仏であった千手観音菩薩像を祀るため、この地に七堂伽藍を建立して開創したのが起源とされている。のち、天平6年(734)に寿元という行者(役行者小角から5代目)が紀州熊野から12社権現を勧請し、12坊を建てて修験道の中心道場として法灯を伝承した。 弘仁13年(822)には弘法大師がこの地を訪ねている。荒廃した伽藍を見た大師は、嵯峨天皇(在位809?23)に奏上して勅命を受け、金紙金泥の『法華経』を納めて、諸堂を再興した。その後、鎌倉時代になってから再び荒れ果てた伽藍の修復に当たったのは、源頼朝である。建久5年(1194)、頼朝は命の恩人である池禅尼の菩提を弔って阿弥陀如来像を奉納、また経塚をきずいて、山号の現光山を「源光山」に改めた。(四国八十八か所霊場会HPより)
・雑感:ここも明治維新まで神仏習合の寺院で、住職を別当職と呼んでいた。明石寺は「めいせきじ」と読みますが、昔は「あけいしじ」だったみたいです。ここの本堂も明治時代に全国の信者の浄財によって建立したもの。
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