安楽寺 (30番善楽寺 奥之院)



安楽寺 (30番善楽寺 奥の院)

・住所:高知県高知市洞ヶ島町5-3

・由来:延喜年間(901年-923年)、菅原道真の長子である菅原高視が配流先の土佐国潮江高視の里で菅原道真逝去の知らせうけて当地に天満宮を建立するに際し、築紫菩提寺に因り建立した寺とされる。その後、12坊を有する大寺院となったが応仁の乱(1467年-1477年)の兵火を受けて焼失し衰退、栄俊の時代には久万城主毛利吉政に菩提寺と定められるなどして復興するが戦国の動乱で再び衰退、など盛衰を繰り返した。江戸時代になって寛文年間(1661年-1673年)に弘法寺の栄俊大徳による再興が行われ、このとき号を金性院と改められた。明治時代初頭の廃仏毀釈の影響でついに廃寺となったが、明治8年(1875年)に常宝により旧瑞応寺跡に再興されて、現在に至っている。
  1993年まで善楽寺とともに四国八十八箇所第30番札所に定められていた。1994年1月1日より善楽寺を第30番札所、当寺を第30番札所奥の院と定められている。

・雑感:1993年までは両者譲らず30番札所が2箇所だったそうで、現在、安楽寺はおそらく不本意ながら奥之院を名乗っているものと思われます。



   

   


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