愛染院 (3番金泉寺 奥之院)
愛染院 (3番金泉寺 奥の院)
3番奥の院 愛染院(別称:那東のお不動さん)
・住所:徳島県板野郡板野町那東字居内32
・由来:伝承によれば平安時代前期の弘仁7年(816年)四国を巡錫中の弘法大師(空海)がこの地に霊気を感じた。そこで自ら不動明王を刻み、ここに安置したのが始まりと言われている。 当愛染院には戦国時代、この地を治めていた坂西城主・赤澤信濃守の廟が祀られている。信濃守は1582年(天正10年)に中富川合戦で、土佐の長宗我部元親軍との合戦時にわらじが切れたために討ち死にしたと伝えられている。また、奥方も持病の神経痛のため逃げきれず、自害された。わらじは信濃守と深い関係があり、今でも大きなわらじが山門に祀られて寺のシンボルになっている。
・雑感:山門の大わらじに圧倒されます。御朱印の墨書は刷毛喜梵字といわれるもので、全国的にも珍しく四国ではここだけだそうです。