所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5
アクセス:JR霧島神宮駅~バス
文化財:国宝(本殿・幣殿・拝殿)
欽明天皇の時代(6世紀)、慶胤(けいいん)なる僧侶に命じて高千穂峰と火常峰の間に社殿が造られたのが始まりとされる。実際の所は高千穂峰に対する山岳信仰から始まった神社であろう。
しかし、火山の麓にあるという立地のためたびたび炎上する。天暦年間には性空により瀬多尾越(現在の高千穂河原・古宮址)に遷されるが、ここもたびたび噴火の巻き添えで炎上する。文明16年(1484年)、島津忠昌の命により兼慶が再建したのが、現在の霧島神宮である。但し、建物はその後も幾度も炎上し、現在の社殿は正徳5年(1715年)、島津吉貴の奉納により再建した物である。
明治期の神仏分離令が発令されるまでは西御在所霧島権現と称し、本地堂は十一面観音。別当寺に華林寺を有する。霧島山を中心とした修験僧による霧島六所権現信仰の中心的役割を果たしていた。
歴代島津氏の尊崇篤く、島津義久は、天正6年(1578年)耳川の戦いに臨む途中に参拝して鬮を引き、また九州北上にあたっても天正14年(1585年)6月に日向国惣先達職の面高善哉坊と重臣山田有信を、再び9月に吉田清存を、それぞれ遣わして鬮を引き侵攻方面を決めるなど、重要事の決定に際したびたび神慮を仰いでいる。また、神木の杉は樹齢約800年と推定され、南九州の杉の祖先ともいわれている。(ウィッキペディアより)
私的満足度「★★」:荘厳な雰囲気です。丁度結婚式に遭遇しました。
令和3年11月の審議会で国宝に指定すべしとの答申がなされました。
以下は文化庁の解説
霧島山の中腹に鎮座する。 天 照 大 神 あまてらすおおみかみ の神勅を受けて高千穂峰 たかちほのみね に天降ったとする 瓊瓊杵尊 ににぎのみこと
を主祭神とし、現在の社殿は正徳5年(1715)に島津吉貴 しまづよしたか によって復興され たものである。境内は、勅使 ちょくし 殿 でん から登廊下を介し、拝殿、幣殿を経て、最も高い位置に本
殿を構える。とくに拝殿から本殿へは、急勾配の階段で段差をつけて高低差を表現する躍 動感あふれた構成をもつ。規模の大きな本殿をはじめ、いずれの建物も質がよく、要所を
丸彫 まるぼり 彫刻や絵画で装飾し、極彩色、漆塗、朱塗で仕上げる豪華な仕様であり、近世に発達 した建築装飾意匠の集大成の一つである。 東アジア圏に分布し、我が国では南九州に伝わる龍柱の代表的な事例であり、文化史的
な意義も深い。
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