所在地:鹿児島県薩摩川内市平佐町2193 アクセス:JR川内駅〜徒歩 文化財: 平佐城の最も古い記録『御家五代古城主来由記』に、薩摩太郎忠友居城のことが記されている。この城に鎌倉中・末期の頃、薩摩氏の系統が居城したことは事実であろう。 十五世紀末から、この城は入来院氏の所有に帰し、天文元年(1532)の頃は入来院十二代の当主重朝が一時居城したこともある。 元亀元年(1570)、入来院・東郷の両氏は島津氏に所領を献じ、降を請うた。島津義久は直轄地として地頭を置いて統治させた。 天正十五年(1587)、豊臣秀吉の征西の時、桂忠ムがこの城に立て籠もり、寡兵よく秀吉の大軍と戦ったことで、この城は有名となった。島津氏を南九州に追い詰めて、付近の諸城は秀吉の大軍を恐れて降ったのに、桂忠ムはおよそ三百の兵をもって固く平佐城を守り、降らなかったのである。島津義久は使者を送り、忠ムに矛を収めるように勧め、ようやく開城した(『日本城郭大系』)。(文化遺産オンラインHPより) 私的満足度「★」:遺構は何もありません。平佐西小学校のあたりだろうと思われます。 |