45宮崎県 日和城

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所在地:宮崎県都城市高城町大井手字横馬場
アクセス:JR日豊本線都城駅〜バス

月山日和(ひわん)城は、元弘年間に肝属兼重によって築かれた。 肝属氏は南北朝の争乱には南朝方に属し、暦応3年に北朝方の畠山直顕が大軍を率いて攻めた落城した。明応4年、島津氏は都於郡城主伊東氏と和睦して、三股院千町の土地を伊東氏に割譲した。 伊東氏は、この城に八代長門守を城主とした。
 天文元年以後、島津氏が伊東氏の八外城奪回を図って攻め、天文3年には城主落合兼佳が北郷氏に降り、城は北郷氏の持城となった。その後、伊集院忠棟−忠真の持城となったが、元和の一国一城令によって廃城となり、内の城に地頭館が設けられた。

私的満足度「★★」:三層の模擬天守が立派です。日向三高城の一つにも取り上げられている通り、中々見応えのあるものです。


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