所在地:大分県日田市亀山町 アクセス:JR久大本線日田駅〜バス 日隈城は、文禄3年に豊臣秀吉から玖珠・日田郡の守代を命じられた宮木豊盛によって築かれた。文禄4年、毛利高政が日隈城代となり、慶長元年に城を修築して五層六階の天守を築いた。慶長5年、関ヶ原後に毛利高政は所領を安堵されたが、翌年に豊後佐伯へと移封になったが、日隈城には城代が置かれた。その後、元和の一国一城令により廃城となった。 日隈山:「深い山の中の湖。ある時豪雨が襲って湖水は溢れ周囲の山脈を破って奔り出た。水の引いた跡の盆地に残った3つの小丘は日隈・月隈・星隈と、水流は三隈川とよばれた」この説話は三隈の丘が、盆地を覆っていた阿蘇噴火などの凝灰岩が大河に洗い出されたあとの、水触残丘であることを示している。日隈山は姿が亀に似ているので「亀翁山」とも「亀山」とも称されるようになったという。郷土の漢詩人広瀬淡窓が詠じた「亀山宛在水中央(亀山は宛ら水の中央に在り)」の詞どおり、川の中州の突端にあって、二方を流水に浸して屹立する。 亀山公園:亀山公園は大昔、小触残丘で日田三丘(月隈・日隈・星隈)の1つであります。 清流三隈川に浮ぶ森で別名 日隈山ともいい、1594年、豊臣秀吉の家来 宮永長次郎が郡令となって築いた日隈城跡でもあります。 頂上には日隈神社(楠公神社)、西南には日田の義民穴井六郎衛門の顕彰碑もあります。 春の桜・初夏のつつじ・晩秋の紅葉・四季の美しさ展望の素晴らしさは随一です。 私的満足度「★」:川の中州にあるお城です。夏来ると涼しくて良いです。 |