所在地:熊本県宇土市古城町 アクセス:JR鹿児島本線宇土駅〜タクシー 中世宇土城の東隣(城山)にあります。この城は,本丸・二の丸・三の丸という三つの郭を外堀と内堀で取り囲む重厚な構成になっており,特に本丸は三層の天守閣があったと伝えられ,堅い防御がなされていたようです。 近世宇土城はもともと小西行長が築いたものですが,1600年に小西が没した後,小西領も併合して肥後の領主となった加藤清正により大改修がなされています。現在,僅かに残っている石垣は,清正によって改修された時期のものと思われます。 小西が築き,加藤の大改修によって完成したと思われる宇土城ですが,徳川幕府の一国一城令により廃城となりました。現在,熊本城にある三層の「宇土櫓」の建築にあたっては,宇土城天守閣の部材の一部も再利用した可能性があります。 また,1637年にキリシタンと農民による「天草島原の乱」が起こると,廃城となっていた宇土城は再度破壊されました。城の名残すら留めないように徹底的に破壊された理由は,もともと小西行長の城下であったためキリシタンが多く,島原半島の原城のように「一揆が起こった場合の拠点」になることを恐れたためではないかと考えられています。 現在,近世宇土城の本丸は公園化され,小西行長の銅像が建てられています。(宇土市HPより) 私的満足度「★」:石垣と小西行長の銅像があります。地面の下には地上の石垣と同じくらいの高さの石垣が埋まっているそうです。 |