所在地:熊本県天草郡苓北町富岡 アクセス:JR鹿児島本線熊本駅〜バス乗り継ぎ 慶長5年、肥後宇土城主小西行長は関ヶ原で敗れ改易になると、天草領は、肥前唐津城主寺沢広高の領地となった。広高は、天草領42,000石を支配するため、慶長10年に完成させたのが富岡城である。寛永14年、島原の乱が起きると一揆軍は富岡城を攻めたが、城将原田伊予は富岡城を守り抜いた。寛永15年、島原の乱が鎮圧されると、寺沢堅高はその責任を問われ改易となり、富岡には備中成羽より山崎家治が4万石で入封しる。家治は城の改修を行ったが、わずか3年で讃岐丸亀に転封になり、この地は天領となった。 寛文4年、戸田忠昌が三河田原から21,000石で入封する。寛文11年、忠昌は城を破却し、幕府に「天草は永久に天領たるべき地」と建議して、常陸下館へと領地替えとなった。以後、忠昌の建議通り天領となった。 私的満足度「★★」:諫早から島原鉄道に乗り口之津から鬼池まではフェリー、そして鬼池港から富岡までは路線バスで入るというとってもローカルな行き方で登城。苦労の甲斐あってとっても印象深い登城になりました。今でもお城からの海の眺めが思い出せます。 |