所在地:熊本県水俣市古城町 アクセス:JR鹿児島本線水俣駅〜バス 水俣城の築城年代は南北朝期といわれているが定かではない。 寛正6年、肥後守護菊池為邦から人吉城の相良氏が水俣の領有を認められている。 戦国期の相良義陽の代になると、永禄8年には上村頼孝が謀反を起こし水俣城に籠もるが、同10年に義陽は深水長則を送り、水俣城を落としている。天正9年、島津義久は水俣城を攻め、相良義陽は水俣を含む芦北郡を島津氏に割譲した。 天正15年、秀吉による九州征伐後、芦北郡は秀吉の直轄領となった。 以後、宇土城の小西領、熊本城の加藤領と領主は変遷したが、慶長17年、幕命により廃城となった。 私的満足度「★」:遺構があまり無いです。最大の見所が井戸(写真下)といった有様です。 |