所在地:雲仙市千々石町小倉名城山 アクセス:JR長崎本線諫早駅〜バス 天正少年遣欧使節の一人として有名な千々石ミゲルの生まれ故郷千々石の地で、戦国時代に築かれた城が釜蓋(かまぶた)城。天正5年(1577年)、龍造寺家は2万とも3万ともいわれる大軍を島原半島に送り込み、釜蓋城にもその矛先が向けられました。時の城主・千々石大和守は、村人を避難させたうえで籠城。徹底抗戦の構を見せます。しかし、衆寡敵せず大和守は自刃。釜蓋城は陥落となる。 その後、薩摩の島津家の援護を受けた有馬家と龍造寺家との間で攻防戦が繰り広げられ、釜蓋城も両者の争乱に関わりました。天正12年(1584年)3月の沖田畷の戦いで総大将の龍造寺隆信が討死したことで、島津・有馬軍の優勢が決まり、釜蓋城は有馬家の手に戻りました。しかし、元和2年(1616年)、島原半島の新たな領主として松倉重政が着任。居城・島原城の築城のために、釜蓋城は解体されて石垣などは島原に運ばれてしまい、廃城処分となりました。 私的満足度「★★」:写真をみて頂いても判るようにお城風展望台です。ここは城址というよりは桜の名所橘公園(軍神橘中佐をまつった神社がある)として有名です。愛野展望台から小浜温泉に到るこの道は私の大好きな風景の一つです。 |