所在地:佐賀県佐賀市大和町大字川上1 アクセス:JR佐賀駅~バス 文化財: 延長5年(927年)の『延喜式』神名帳では肥前国佐嘉郡に「與止日女神社」と記載され、式内社に列した。弘長元年(1260年)に最高位の正一位の神階を授けられた。 平安時代には、肥前国では田島坐神社(現 田島神社)が安全航海の神として崇敬され、神階も当社より上で『神名帳』では肥前国唯一の大社に列していた。しかしながら遣唐使の廃止もあってその地位は低下し、代わって中世以降は国衙に近い当社の地位が高まり、肥前国一宮として崇敬されたという。ただし、後述のように千栗八幡宮も一宮を称している。 弘安の役(1281年)では與止日女大神の神霊が敵の船を摧いたと伝えられる。 慶長7年(1602年)に後陽成天皇が「大日本国鎮西肥前州大一之鎮守宗廟河上山正一位淀姫大明神一宮」と書いた勅額を下した。すなわち当社が肥前国一宮であるとするものであるが、千栗八幡宮も肥前国一宮とされていたことから、両社の間で60年にわたる紛争が起こった。 明治4年(1871年)には近代社格制度において県社に列した。国幣社への昇格も進められていたが、第二次世界大戦の終結により実現しなかった。(ウィッキペディアより) 私的満足度「★★」:「よどひめじんじゃ」と読みます。川上峡温泉のそばにある静かなそして小さな神社です。国幣社という感じではないです。 |