所在地:佐賀県唐津市鎮西町名護屋 アクセス:JR唐津線唐津駅〜バス 文化財:国特別史跡 名護屋城が築城された勝男山には、松浦党波多信時の家臣名古屋経述が居城した垣添城があった。天正19年、豊臣秀吉は朝鮮出陣の拠点として、黒田如水、加藤清正・小西行長・黒田長政による縄張り、九州の諸大名による天下普請によって名護屋城を築城した。城は、異例なほどの突貫作業で行われ、約7ヶ月程で主要部が完成している。秀吉は、朝鮮出陣の補給線の拠点として、名護屋城の他にも壱岐勝本城、対馬国府清水山城も有馬晴信・松浦宗信らの九州大名に築かせている。 7年に渡る朝鮮出兵は、慶長3年8月に秀吉が大坂城で死去したことでようやく終わる。これと共に、名護屋城の役割も終了した。 慶長7年〜13年にかけて寺沢広高が唐津城を築城した際、名護屋城を破却して建物を唐津城に移した。 また、大手門は伊達政宗の仙台城大手門として移築された。 面積は約17ヘクタールです。当時では、大坂城に次ぐ規模であり、金箔を施した豪華な天守閣は、まさに天下人の城であったことを表しています。現在でも立派な石垣が残り、当時の面影を伝えています。(佐賀県HPより)
私的満足度「★★」:ここも交通不便なところにありますが是非行くべきです。博物館も勉強になります。 |