所在地:佐賀県唐津市東城内 アクセス:JR唐津線唐津駅〜徒歩 天正18年(1590)天下統一を果した豊臣秀吉は、海外に目を向け朝鮮への侵略支配を企てた。 朝鮮への侵略戦争、文禄・慶長の役(1592〜1598)は、ここ唐津より程近い肥前名護屋(現鎮西町、呼子町)を基地とされた。その間全国から大名が集まり肥前名護屋は大阪とならんで日本の政治・外交の中心地となり、わずか5ケ月で築城させた名護屋城は秀吉の権威の象徴とも言えよう。 秀吉が没し(1598)、文禄・慶長の役は終止符を打つこととなる。その後、関が原の合戦(1600)によって支配体制を確立した徳川幕府により、廃城後石垣までの取り壊しを命ぜられた難攻不落の城郭を持つ名護屋城の解体資材を用いて、慶長13年(1608)築城されたのがここ唐津城である。 唐津の初代藩主、寺沢志摩守広高が慶長13年(1608)に築城。現在ある唐津城は昭和41年に完成。五層五階、地下一階の美しい天守閣は「舞鶴城」とも呼ばれ、また趣きあふれる茶室などがあり、市民や観光客に親しまれています。また各階は藩制時代の貴重な資料や古唐津、武具の展示館となっている。(唐津観光協会HP等より) 私的満足度「★★」:観光用天守ですが遠くからも良く見え、いい感じです。桜も良し。 博多山笠見物後、宝当神社参拝目的で訪問です。良い写真が撮れたので左下に追加。(H24.7.15) |