所在地:福岡県京都郡みやこ町豊津 アクセス:豊津駅〜タクシー 慶応2年(1866年)、長州藩との戦闘により城を自焼して退去した小倉藩は、香春に移り翌年香春藩と改称。さらに明治2年になって豊津に移り藩庁を築いたが、間もなく廃藩となった。陣屋跡は豊津支所の敷地や小笠原神社境内となり遺構はないが、藩校の門が豊津高校内に現存している。 小笠原藩が豊津に移った後、ただちに藩勢再興を子弟の教育に託すため藩校の建設にとりかかりました。校舎は行事の商人玉江彦右衛門が私財を投じて建て、藩に寄付し、明治3年1月開校。黒門はその藩校(育徳館)の校門であり、この学舎から多くの秀才が輩出されました。 一時期苅田の真念寺の山門となっていましたが、昭和45年に現在の場所に移設されました。 私的満足度「★」:1871(明治4)年7月廃藩置県が行われ、豊津藩は豊津県になり、同年11月豊前の豊津・中津・千束県が統合されて小倉県になったという話をここの歴史民俗博物館で知りました。土地の人は4か月間とはいえここが単独の県だったことを誇りに思っている様子です。 |