40福岡県 坂本八幡宮



住所:福岡県太宰府市坂本3丁目14-23

アクセス:太宰府駅~コミュニティバス「まほろば号」

天平2年1月13日(ユリウス暦730年2月4日)、当時大宰帥の地位にあった大伴旅人は、大宰府の近辺にあった自身の邸宅で宴会(=「梅花の宴」)を催した。大伴旅人の邸宅が具体的にどこにあったかは諸説あるが、現在の坂本八幡宮の付近が有力候補地とされる。

「圓満山四王寺縁起」によれば、平安時代である弘仁2年(811年)、四王寺山にあった「四王寺」の座主坊として、この坂本の地に「善正寺」という寺が成立した[2]。「善正寺」は天台宗に属し、九州の天台宗の寺院は八幡宮を境内に祀っていることが多かったため、「善正寺」にも八幡宮があったと考えられる。戦国時代以前に「善正寺」は廃れ、境内にあった八幡宮だけが村の鎮守として再興されたと推測される。

2019年4月1日、「梅花の宴」についての序文を典拠とする新元号「令和」が発表されると、新元号ゆかりの地として注目されるようになった。以前の参拝者は1日あたり20人ほどだったが、「令和」発表直後には3000人に急増したという。

なお、先述のように坂本八幡宮はかつての大伴旅人邸の有力候補地ではあるが、その他にも複数の候補地が指摘されている。

政庁東側、月山東地区官衙跡

政庁南側、大宰府条坊跡周辺

(ウィッキペディアより) 

私的満足度「★★」:「令和」ゆかりの神社としてにわかに脚光をあびた神社です。発表が4月1日。訪問したのが4月19日。金曜日だというのにものすごい人数の参拝客でした。今後は「御朱印」の対応も検討しているようでした。


 

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