40福岡県 名島城

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所在地:福岡県東区名島1丁目
アクセス:西鉄宮岳線名島駅〜徒歩(または博多中心部からバス)

 名島城は、天文年間に立花山城主立花鑑載が支城として築いた。天正15年、備後三原城主小早川隆景は、豊臣秀吉の九州征伐後、筑前一国・筑後・肥前の一部で524,500石に加増され、この地に入封した。
 水軍の将でもあった隆景は、船溜まりを備えた城に名島城を大改修した。 その後、隆景は、秀吉の甥秀秋を養子に迎えて家督を譲ると備後三原に隠居する。(慶長2年没)慶長5年、関ヶ原の戦功により小早川秀秋は備前岡山城へ転封し、その後に、黒田長政が豊前中津から52万石の太守となって入城した。 慶長7年、長政は福岡城を新たに築いて移り、名島城は廃城となった。

私的満足度「★」:慶長五年(1600)黒田長政が筑前入国。福岡城築城に伴い解体。石垣、門、櫓などは福岡城築城に使われたとの予備知識を携えSUNQパスがあまったのでバスに乗って訪問。海側で良い感じの住宅地になってます。


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