所在地:福岡県北九州市小倉北区室町 アクセス:JR鹿児島本線小倉駅〜徒歩 小倉城の原型を造らせた細川忠興【ほそかわただおき】(1563〜1645)は関が原合戦の功績によって慶長5年(1600)豊前国主として最初に中津に入国、中津城を居城とした。 しかし領国支配に中津城は不敏なため、慶長7年(1602)小倉城の築城に着手し約7年の歳月を費やし完成させている。現在の小倉城は昭和34年(1959)に再建されたもの(コンクリート造)である。城は天保8年(1837)に城内から発した火災によって全焼し、2年後に再建されるが天守閣は再建されなかった。城主は、寛永9年(1632)肥後藩主・加藤忠広の改易によって、小倉藩2代目として後を継いだ細川忠興の三男・忠利【ただとし】が熊本へ転封される。 その後、ここ小倉は九州北部の交通・軍事の要衝であることもあって、徳川家と血縁関係である小笠原忠真【おがさわらただざね】が入封している。以降は小笠原10代、幕末に至るまで西国大名の監視役を務めた。 慶応2年(1866年)の第二次長州征討では幕府軍の本拠となったが、長州側の猛攻を受け城を自焼して退去。藩庁は香春を経て豊津へと移った。廃藩後、城内には兵営や造兵廠が置かれたが、昭和34年に天守・櫓が復興された。(北九州観光HPより) 私的満足度「★★」:復興天守ですが庭園と併せてそれなりに楽しめます。桜も良かったです。 |
「小倉城庭園」はこちら |