所在地:福岡県 アクセス:西鉄大牟田線大宰府駅〜タクシー 岩屋城の名称は、15世紀前半代に、筑前の領国支配権を手にした山口の大内氏が太宰府岩屋城に御笠郡代を置いたことを発端とし、以降、大内氏が滅亡する天文20年(1551年)まで踏襲された。その後、大内氏に代わって筑前を支配した豊後大友氏は、永禄2(1559年)に高橋あきたね鑑種を送り込み、鑑種は、宝満山にあった宝満城を本城、岩屋城を支城とした。その後、高橋鑑種から高橋しげたね鎮種(後の紹運)へと城主は代わり、豊臣秀吉の九州平定後の天正15年(1587年)ころまで継続して使用された。 1586年、秀吉の直参高橋鎭種(紹運)以下760名の将兵は、島津連合軍4万と闘い、猫額大の岩屋本丸を14日間守り抜き、全将卒ひとり残らず、刀折れ矢尽きるまで死闘して、城を枕に自刃した古戦場跡として、軍記物語に名高い。 私的満足度「★★」:大野城と一緒に訪問できます。高橋紹運のことを調べてから行くとなお良しです。お城跡(広場)からの眺めが素晴らしいです。 |