住所;高知県四万十市中村丸の内
アクセス;JR中村駅〜タクシー
文化財:
総面積10586u東城、為松城、中の森、御城、今城の五郡の城を統合したもので、平野部を東西に通ずる陸路の要を押さえ、南北と西部に至る河川により攻防いずれにも臨機応変の戦いに備えることができた。
為松城の詰(本丸)は約800u(240坪)の広さであったらしい。城主とされる為松氏は、この地方の有力な豪族(国人)の出だが、一条氏の入国以来家臣となっている。しかし、一条政権の滅亡と共に所領を失い、歴史から姿を消した。中の森に残っている石垣は、昭和40年に発見されたもので、山内2万石藩主山内政豊(別名良豊)時代の慶長十八年(1613)、新たに中村城として修復された時のものだと思われる。この城の詳細は不明だが、翌々年の元和元年(1615)の一国一城令により廃城となり、以後修復されることはなかった。東ノ城跡は一条氏一門の西小路氏の持城と考えられている。面積は約200u(約60坪)程度であったと思われる。一条政権が滅び、西小路氏も中村を退去すると城は荒廃し、山畠となった。現在は、地形が変化し、かつての城の面影はほとんど無いが、わずかに土塁の一部が残っている。(現地案内板より)
私的満足度「★★」:天守閣風の郷土資料館が素敵です。桜と良くマッチしています。
|