39高知県 岩崎弥太郎生家 庭園

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住所:高知県安芸市一ノ宮
アクセス;土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線安芸駅〜レンタサイクル
文化財:

岩崎弥太郎の生家は1795年、弥太郎の曽祖父・弥次右衛門が手にいれたものでした。それが当時の姿そのままに今も残されています。茅葺平屋建ての家の敷地は約30坪。玄関を上がったところに4畳半の部屋と、その右側8畳ほどのに寝床つきの居間、その横にはさらに4畳半の部屋と茶の間があります。また、土蔵の鬼瓦には岩崎家の家紋であり、三菱マークの原型ともなった三階菱が見られます。
岩崎弥太郎の生家は、“岩崎弥太郎”という偉人の生涯を探る上での重要なであると同時に、当時の暮らしを知る上でも貴重な歴史的財産となっています。岩崎弥太郎の生家はわたしたちを、弥太郎が暮らした時代へとタイムスリップさせてくれるようです。
岩崎弥太郎の生家は、のちに「東洋の海上王」とまで呼ばれるに至った岩崎弥太郎の人生の出発点でもあります。岩崎弥太郎のはこの家で、大きな大志を抱くようになりました。
岩崎弥太郎の生まれた家は弥次右衛門の時代に郷士の株を売って居ついた地下浪人という身分でした。地下浪人という身分は藩士や郷士と比べて当時決して高い身分ではありませんでした。岩崎弥太郎の生家は大きく立派に見えますが、当時の弥太郎の暮らしは極貧の中にあったと言われています。
その中で育った弥太郎は幼い頃から頭脳明晰、当時の土佐藩氏・山内豊照にも漢詩を披露するほどの腕前だったと言います。そして弥太郎は貧しい生活の中で次第に夢を膨らませていくことになるのです。
その象徴とも言えるのが岩崎弥太郎生家に今も残る庭石。この庭石は弥太郎が幼い頃日本列島の形に並べたものだと言われています。高い身分になく、極貧の中で育った弥太郎はこの庭石を並べながら、「いつか日本を動かすような人間になる」という野望を抱いていたのかもしれません。(高知県観光情報HPより)

私的満足度「★★」:竜馬伝やっているものですから大型観光バスがやってきます。日本列島を模った石組みですが、家側から見ると手前が北海道であり、地図でいえば上下逆方向になるのでこの話は眉唾ではないかと思われますが、三菱グループの今後次第では100年後には名勝庭園に化けるかもしれません。



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