所在地:愛媛県松山市道後公園 アクセス:伊予鉄道城南線(路面電車)〜徒歩 文化財:国史跡 河野氏は、風早郡河野郷(北条市)を本拠として勢力を伸ばした一族で、源平合戦(1180〜1185)で河野通信が源氏方で功績を挙げ、鎌倉幕府の有力御家人となり、伊予国の統率権を得ました。承久の乱(1221年)で没落するものの、元寇(1281年)で通有が活躍し、確固たる地位を築きました。また鎌倉時代には、河野氏から出た一遍上人が時宗を興しました。南北朝期、通盛の頃には本拠を河野郷から道後の湯築城へと移しました。その後有力守護細川氏の介入や一族間の内紛がありましたが、足利将軍家と結びつき、近隣の大内氏、大友氏、毛利氏などと同盟を保ちつつ伊予支配を維持しました。庶子家との争いも克服し、通直は湯築城の外堀を築き(1535年頃)、娘婿の海賊衆村上(来島)通康との関係を強化しました。最後の当主通直(牛福丸)は、全国統一を目指す豊臣秀吉の四国攻めにより小早川隆景に開城し(1585年)、河野氏の伊予支配に終止符が打たれました。湯築城は、戦功により伊予一国を得た小早川隆景に与えられた。天正15年、隆景は筑前名島城へ移り、福島正則が入城するが、居城を府中城(国分山城)へ移し、湯築城は廃城となった。(道後公園HP等より) 私的満足度「★★」:道後温泉脇のお散歩公園かと思っていたら、ちゃんとした城址でした。ここも桜が見事です。 |