住所;香川県三豊市三野町
アクセス;弥谷寺〜徒歩
文化財:
鎌倉幕府を滅亡させると、その功により細川氏は畿内や四国数カ国の守護となり、その被官・香川氏も細川氏と共に讃岐に入部した。 香川氏は多度津の本台山に居館を構え、詰の城として天霧山に城を築き、付近の豪族を支配し勢力を付け始め、西讃岐の守護代にまでなった。 永禄元年(1558)、細川氏の力が衰えた後、阿波の三好氏が勢力を伸ばし、讃岐国へ侵攻し、抵抗する香川氏の天霧城へ大軍をもって攻撃を始めた。 しかし、容易に城は落とせず、三好氏は攻略を断念した。 天正6年(1578)、土佐を統一した長宗我部元親の軍が西讃岐に侵攻し、藤目城・本篠城を落城させた。 さらに侵攻する長宗我部軍に香川氏は、元親の次男・親政を養子に迎えること で和議を結んだ。 天正13年、秀吉の四国征伐で長宗我部氏が秀吉に降伏すると香川氏は土佐に敗走。 天霧城は廃城となった。
写真下はこちら天霧城の看板
私的満足度「★」:登山口は第71番札所 弥谷寺にありここに案内板もある。城址付近までは遍路道を通って行くことができる。巡礼中でしたので当然登城せず。
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