35山口県 高嶺城



所在地:山口県山口市上宇野令字高嶺

アクセス:JR山口線山口駅〜バス

文化財:

 高嶺城は、大内氏最後の当主、大内義長が築いた城です。

毛利軍の侵攻に備え弘治2年(1556)春から築城を始めましたが、築城はあまり進まず籠城に必要な食料にも欠いたため、翌年2月、義長は内藤隆世とともに長門国に逃れました。そして最後は長福寺(現在の功山寺(下関市))で自刃しました。

 その後、弘治3年(1557)秋には毛利氏の支城として築城が始まり、冬に完成しました。城番は、市川経好、柳沢元政、佐世元嘉らが担いました。

 また、永禄12年(1569)の大内輝弘の乱では、輝弘が大友方の兵を率いて山口に侵攻しましたが、市川経好の妻らが高嶺城でそれを防いだと言われています。 高嶺城は最終的に、元和元年(1615)の一国一城令により破却され、城としての役割を終えました。(山口市HPより)

私的満足度「★」:山を登ると石垣があるみたいですが、時間も体力もないので登りません。麓の高嶺稲荷神社(写真左下)に参拝。



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