所在地:山口県下関市田倉 アクセス:JR山陽本線長府駅〜タクシー 勝山城は、永和4年に永富嗣光が築いた山城である。 天文20年に大内義隆を滅ぼした陶隆房は、大内義長(大友義鑑の子)を大内氏の後継者とする。弘治3年、毛利元就によって山口を追われた大内義長は、内藤隆世の居城勝山城に籠もるが、毛利の先手福原貞俊によって攻められ落城した。義長は、長府長福院で自刃し大内氏は完全に滅亡した。江戸幕末の文久3年、長府藩主毛利元周は、外国船に砲撃を加え攘夷に踏み切った。これが馬間戦争の始まりである。外国船の艦砲射撃に備え、新たな関門海峡防衛の拠点として、勝山に居館を築いた。 廃藩までの短い期間ではあったが、明治までこの勝山御殿が長府藩の居城であった。 私的満足度「★★」:タクシーでないと行けない所にあります。すごい石垣が残ってます。 |