住所;広島県福山市鞆町後地536-1 アクセス;JR福山駅〜バス 1342年(康永元年)四国伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力をもつ北朝足利方が燧灘で合戦となりました。大可島城にこもる南朝方の守将桑原伊賀守はじめ将兵達は全滅しました。1349(正平四)年足利尊氏の弟直義の養子直冬は四国探題として大可島城にいたこともありました。その後、戦国時代、村上水軍の一族が大可島城を拠点に海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権をにぎっていました。慶長年間(1600年頃)鞆城を築いた時、陸続きとなり、現在ある南林山釈迦院円福寺は、真言宗でこの年代に建てられました(現地案内版より) 私的満足度「★★」:城の遺構は何も残ってません。鞆城跡から歩いて5分ほどのところにある円通寺本堂前に「大可島城趾」の案内板があるだけです。 |