住所;岡山市中区円山1069
アクセス;JR岡山駅~バス
様式・作庭:池泉回遊式庭園、絶外和尚、津田永忠
文化財:
寺伝に、「元禄11年(1698)5月、池田綱政の創立にして寺領黒印地高200石、同年10月同郡(上道郡)山崎村にて寄付せられ、同16年(1703)9月円山村福泊(まるやまそんふくどまり)の内、田畑若干を買上げその頃の住職密山へ附与、その他山林反別若干寄付せられたり。開基は絶外和尚なり」と記されているように、後楽園をつくった藩主池田綱政(1638〜1714)の創建で、山号の「護国山」は綱政の高祖父信輝の法号「護国院殿雄丘宗英大居士」からとったものです。また寺号の「曹源寺」は、禅宗の開祖達磨大師の修養地曹渓にちなんだものだといいます。
本尊は十一面観音、臨済宗妙心寺派の寺院で、寺伝にあるように綱政が京都妙心寺から絶外和尚を招請し開いたと伝えられています。
境内の面積は5千259坪(約1万7千355平方メートル)。伽藍は操山を背に児島湾に南面し、南北を軸線上に松並木の参道につづいて総門・山門・本殿、そして本殿を中心に経蔵・庫裡、鼓楼・鐘楼、禅堂などがほぼ左右対称に配置されています。また本殿東には表書院、北には裏書院が配置されており、さらに表書院の東には茶室と操山を取り込んだ広さ1千500坪(5千平方メートル)ほどの林泉回遊式の禅風庭園が、また本堂裏の正覚谷には池田家の墓所、背後の山腹には三重塔や溜池が配置されています。林泉回遊式庭園は「後楽園と陰陽一対をなす」と言います。
寺伝には庭園の造作は開山の絶外和尚と津田永忠が関わったとあるそうです。しかし確証となる記録はないようです。
しかしつぶさに観察してみると、山腹の溜め池から滝への導水システム(破壊された石製樋門の石材が残っています)や元禄期の特徴をよく表している巨石をふんだんに使った石組み等に、永忠とその配下の人たちの仕事と思える箇所が随所にうかがえます。たとえば総門を入ってすぐの放生池が閑谷学校の泮池同様方形であること、総門前の石橋や高欄などのデザインにも閑谷学校と同様の儒教的様式が見られます。(岡山世界遺産登録を目指してHPより)
私的満足度「★★」:回遊式の庭園、特に池越しに臨む石組みはなかなか見事なものでした。訪問した時はすでに終わっていましたが枝垂桜も有名なようです。
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